我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、
我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない。
我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない。
-カントの墓碑-
水害における衛生状態の問題は、いつでもどこでも課題になる。
水は命を育むものだが、度が過ぎれば危険になる。台風しかり、洪水しかり、津波しかり。
だが、度が過ぎているのは自然なのか、それとも人間なのか―。
雨が降るのは大気中の水蒸気が集まり雲となり、やがて液体となって降り注ぐためである。
台風(サイクロン)もまた、水分と大気の"バランス"による結果であり、洪水も津波も、ある現象に対応する自然の"バランス"に過ぎない。
雲が無くなれば雨は降らないし、押し寄せた津波が引けば元の海に戻る。振り子のように、一方に揺れたらその分戻ってくるだけだ。
従って、"度が過ぎる"自然は存在しない。
…
結論、"度が過ぎる"のは人間の方ということになる。
必要以上のことを求めるのは、人間に許された特別な資質である。それが社会を発展させたことも確かである。
しかし、全ては自然との調和・バランスであることを忘れてはいけない。振り子を強く振れば、その分強く戻ってくる。さらに強くしようとすれば…壊れてしまう。
…
今回の被害は、どこかの"度が過ぎた"人間・国家が押した振り子のツケを、犠牲者がその身をもって支払った結果でもある。
僕も、あなたも、知らず知らずのうちに誰かにツケを押し付けて生きているのかもしれない。何かを食べるたび、手を洗うたび、PCに向うたび、車に乗るたび―。
生命や自然への畏敬とは、にも関わらず我々人間を育んでくれるものに対する、誰もが持つべき姿勢ではないか。
サイクロンが発生しなければ犠牲は出なかったであろうが、もしそうであれば必ず他の被害が生まれている。重要なのは何が起きたかではなく、人が何を学ぶかということだ。
人間を超えた自然に対する謙虚な想いなくして、どうして人間を想うことができようか。人間だけが良ければよいという考えが、どんな影響をもたらしているのか、地球の状況を見れば一目瞭然である。
カントが示そうとした道徳教育の在り方は、今尚輝きを失うことなく、犠牲となられた方々の声無き声を代弁している。
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