知らなければ良かったと思うことがたびたびあります。
罪なき命が奪われるという、人の業に対する神の試練はかくも厳しいものなのか。
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この日本で、いきなり銃を持ってきた男に射殺された人がいるという、その状況がまったく理解できません。
こんなニュースなら『実は火星人とは長い付き合いでした』とNASAが発表する方が、まだ理解できます。茶化してる訳ではなく、こんな事件を起こす人間より、宇宙人の存在のほうがまだ納得できるという意味です。
ましてご遺族や関係者の方なら怒りはもちろん、なぜという疑問が渦巻いていることでしょう。無念でなりません。
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一番きつかったのは病院の会見で、犠牲となった方の外傷について触れられたときです。何でそこまで詳細に話すのかと恨めしく思いました。
同時に僕のイマジネーションは犠牲者の「その瞬間」、前後数秒間の行動と心理状態へと飛んでいくのです。
こうなるとしんどくて、今回は「前のめりにうずくまり」たくなりました。思うだけでも左の脇腹がきりきりします。
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ひどいニュースを知るたび、ひとり部屋で唸ったり頭を抱えたり、膝をついたり。
いわゆる精神的な「共感」とか、「辛い気持ちがわかる」といったものとは違うのです。もっとダイレクトで直接的なもの―。
いったい何なのか見当もつきませんが、この事件と、イマジネーションが与える痛みには相応の意味があるはず。
事件は犯人が自殺という報道で収束に向かうのでしょうが、またひとつ、大きなテーマを与えられたような気がしています。


http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/38666650.html
探偵ファイル〜スパイ日記〜/米バージニア工科大乱射事件 〜もう一人の犯人/BOSSと平田
http://www.tanteifile.com/diary/2007/04/24_01/index.html
YouTube - 精神医療のCMその2
http://jp.youtube.com/watch?v=-7cQQQQB_Sc
隣人を信じられないというのは 江戸時代の大家と店子のシステムから端を発した戦中の「向こう三軒両隣」という監視システムを復活させなければならないような国になりつつあること・・・。それは 北朝鮮と同じ社会にならなければ 生きてゆけないということかもしれませんね。
明らかに 想像力の欠如ですね。
最近の犯罪のほとんどが このキーワードでくくれると思うのです。
その多くが 60年外後半から始まった視聴覚教育 特に映像を利用した教育が 想像力の劣化をもたらしたと思います。
最近のプロジェクターを活用した講義なども同じですね。
見ているときには なんか凄くわかったような気がするのですが・・・そのほとんどは映像が消えると記憶も消去されてしまう・・という特徴があります。
少なくとも 私たち戦中に生まれた人間は物資にも恵まれませんでしたが 文章を読んで 場面を創造する、音楽を聴いて Sceneを思い浮かべるという訓練をされてきています。
そのことは 自分が行う行為が もたらす結末を想像できるのですね。だから せつな的なゲームのようなことはやらないというか自制するわけです。
バーチャルな世界とリアルな世界の境界が見えなくなってきているのだと思います。
こういう 現実を構えて 人と対応しないと駄目なのですね。そんな社会が悲しいとか言う人がいますが それも現実が見えていないのかもしれませんね。
これが 今の社会なのだと踏まえて ではどうするのかということを考えることでしょう。
団塊の世代は コミュニティーを壊してきました。仲間は(学生時代の仲間や会社仲間)大切にします。そうしないと自分のフィールドがなくなるから・・
しかし、本来の自分と家族が立つべき本拠地を「うざい」といって拒否してきた・・地域のイベントに参加するよりも会社仲間のゴルフを選択してきたわけです。子ども会などにかかわる父親を見ると あいつおかしいよ・・会社の中で上手く行かないのかな・・なんて考えてきた連中です。
その子供たちが 今 30代を超えてきているわけです。コミュニティーへのかかわり方が解らない・・・親の姿が見えなかった
それが 社会的孤立を招いているのだと思います。
みやさんのようにボランティア活動を推進している人には理解できないと思うのですが 日本の現実はそんなレベルですね。これをどうやるのか・・私たち世代の責任かもしれません。いま 私たちも団塊世代の地域への受け入れを研究して日常活動に結び付けようと思っています。
お互いに 精一杯やりましょう。
情報ありがとうございます。とても参考になりました。これらを拝見すると、ニュースで耳にする『凶悪犯罪』の凶悪が"どこにかかる"のか疑問です。
>utata さん
いつもありがとうございます。
"想像力の欠如"、まさしくその通りだと思います。事件に関して言えば病的な要因があったのかもしれませんが、社会全体としてそのような気運があることは否めないと感じます。
災害Voの分野でも、普段は興味がないのに『地震が起こると何かしたい』人が多いのは、これが影響しているのでしょう。
そう考えると、前の記事になりますが"ほんのちから"は大きいですね。