2008年10月07日

東京でM8.0の地震が起きたらどうなるかって?



"マグニチュード8を超える巨大地震は、自然の摂理だ"

-Miya-


 1923年の関東大震災のマグニチュード(M)が7.9。
 現在、中央防災会議で想定されている首都直下地震の被害想定はM7.3(阪神淡路クラス)。

 M8.0の地震と、M7.3の地震では地震そのもののエネルギーに8倍以上の差がある。

 首都直下で、M8.0の地震が起きたらどうなるか―。
 どの程度の被害が出るかを想像することは難しい。
 恐るべきエネルギーの波によって、何が起きてもおかしくない。

***


 だから、対策を諦めよう、というわけではない。

 少なくとも、M7クラスの地震に対しては、現行の体制でもある程度被害を留めることが出来ると信じている。

 だが、M8クラスというのは2〜300年周期で起きる巨大地震である。その周期から考えても、人類の物差しで測れる現象ではない。

 もっと言えば、それは地球の動き―自然の摂理―であって、その現象によって起きる被害もまた、摂理の一環ではないか、という気持ちになる。

***


 あらゆる対策は講じられるべきだ。
 たとえ数百年の周期であっても、人は語り継ぎ、次の世代へと教訓を活かしていかねばならない。
 そのうえで、地球の息吹に畏敬の念を示す必要がある。

 数百年の後、人類は画期的な技術を開発し、地震すらコントロールしようとするかもしれない。

 プレート内部で人為的な爆発を起こし、エネルギーを発散させたり、巨大なボルトを打ち込んでプレートを固定したり。

 だが、それは摂理を無視した行為で、たとえそれで地震が無くなろうと、地球は違う形でエネルギーを放出するだろう。

 そして、地震よりも遥かに大きな被害を出して、未来の人類は自分たちの過ちに気がつく―。

***


 地震は、数少ない、人類に対して自然の驚異を知らしめる現象のひとつだ。

 老若男女、誰もが同じように不安を感じる。
 だが、その不安こそ、人類が人類たりえる証拠ではないか。

 文明が肥大化し、自らと地球さえ食いつくさんばかりの現代にあって、今なお、地震は人類に自然に対する畏怖の念を覚えさせる。

 あらゆる科学技術をもってしても、コントロール出来ない。
 それが、自然というものではないか。

 自然すらコントロールするようになったら、自然に対する畏怖の念はなくなり、便利な資源のひとつと見なすだろう。

 あとは…今の化石燃料と同じだ。風の動きも、水も、プレートの動き、マグマさえも資源として利用し、やがて食いつぶす。

***


 自然は、厳しい先生のようなものだ。

 "人として"間違ったことをすれば、ためらうことなく怒る。
 ときに、頬を叩くこともあるだろう。

 体罰だと騒いでPTAに陳情するか。
 泣いて黙るか。
 己の非を恥じ行いを改めるか。

 東京直下のM8クラスの地震は、厳しいビンタと思うしかない。

 それを素直に受け止められるかどうかは、人類のこれからの生き方にかかっている。
posted by Miya at 21:26| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 半径3mの災害Vo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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