"マグニチュード8を超える巨大地震は、自然の摂理だ"
-Miya-
1923年の関東大震災のマグニチュード(M)が7.9。
現在、中央防災会議で想定されている首都直下地震の被害想定はM7.3(阪神淡路クラス)。
M8.0の地震と、M7.3の地震では地震そのもののエネルギーに8倍以上の差がある。
首都直下で、M8.0の地震が起きたらどうなるか―。
どの程度の被害が出るかを想像することは難しい。
恐るべきエネルギーの波によって、何が起きてもおかしくない。
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だから、対策を諦めよう、というわけではない。
少なくとも、M7クラスの地震に対しては、現行の体制でもある程度被害を留めることが出来ると信じている。
だが、M8クラスというのは2〜300年周期で起きる巨大地震である。その周期から考えても、人類の物差しで測れる現象ではない。
もっと言えば、それは地球の動き―自然の摂理―であって、その現象によって起きる被害もまた、摂理の一環ではないか、という気持ちになる。
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あらゆる対策は講じられるべきだ。
たとえ数百年の周期であっても、人は語り継ぎ、次の世代へと教訓を活かしていかねばならない。
そのうえで、地球の息吹に畏敬の念を示す必要がある。
数百年の後、人類は画期的な技術を開発し、地震すらコントロールしようとするかもしれない。
プレート内部で人為的な爆発を起こし、エネルギーを発散させたり、巨大なボルトを打ち込んでプレートを固定したり。
だが、それは摂理を無視した行為で、たとえそれで地震が無くなろうと、地球は違う形でエネルギーを放出するだろう。
そして、地震よりも遥かに大きな被害を出して、未来の人類は自分たちの過ちに気がつく―。
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地震は、数少ない、人類に対して自然の驚異を知らしめる現象のひとつだ。
老若男女、誰もが同じように不安を感じる。
だが、その不安こそ、人類が人類たりえる証拠ではないか。
文明が肥大化し、自らと地球さえ食いつくさんばかりの現代にあって、今なお、地震は人類に自然に対する畏怖の念を覚えさせる。
あらゆる科学技術をもってしても、コントロール出来ない。
それが、自然というものではないか。
自然すらコントロールするようになったら、自然に対する畏怖の念はなくなり、便利な資源のひとつと見なすだろう。
あとは…今の化石燃料と同じだ。風の動きも、水も、プレートの動き、マグマさえも資源として利用し、やがて食いつぶす。
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自然は、厳しい先生のようなものだ。
"人として"間違ったことをすれば、ためらうことなく怒る。
ときに、頬を叩くこともあるだろう。
体罰だと騒いでPTAに陳情するか。
泣いて黙るか。
己の非を恥じ行いを改めるか。
東京直下のM8クラスの地震は、厳しいビンタと思うしかない。
それを素直に受け止められるかどうかは、人類のこれからの生き方にかかっている。
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